備忘録
水野南北
粗食少食が開運を握る唯一の鍵
天からの授かりものである食べ物をおろそかにすることは、自分の命をおろそかにするこ。
大食や暴飲をすることは、自分の命を的にして弓を引き、矢を放つようなもの。
一汁一菜といえども、余計に食することはいけない
人の運は食にあり
過度の肉食は身を損ねるが、少量なら良い
南北が戒めたのは、こころの卑しさ
節制するのも自分、節制しないのも自分
自分がまず食の節制を受け入れ、身体を大切にしようと覚悟を決める
こころがしっかりしていれば、身体も長く、美しく保たれるが、こころがずさんで食をおろそかにすると、身体は短期間で損なわれる
少食に努めれば、乱れた運勢も整う。決して食欲に振り回されてはだめだ。食の慎みこそが健康と幸福への道。
家をゴミ屋敷状態にして、外に出て行っても物事がうまく運ぶはずがない。
昔から賢人と呼ばれる人は、皆きちんと片付いた質素な家に暮らし、食事も慎ましいものであった。
金のことばかり考えるのではなく、まず徳を積むことから始めよ。徳を積めばおのずと富も増す。
粗食少食をし、その量、時間などもきちんと決め、規則正しい食生活をすることで徳を積む
食事の内容次第で人間の運命は変わるものであり、むやみに神仏に頼ったりすることも無意味。
南北自身は一生米を食べなかった
高いお金を出してわざわざターミナルケアを受けなくても、しっかりと少食の習慣を身に付けた者は、時がくれば自然に絶食し、静かに死を迎えることができる
少食は人格を高貴にする
何かを継続的に実践し、肉体の本質が変わらない限り、精神の本質も変わらない
食を慎めば、体質が変わり、やがて生活全般にわたって慎み深くなるので人格が高貴になる
腹七分
副食は一汁一菜
食べる量を一定させること
食べる時間を一定させること
肉、酒もよいが、控えめにすること。摂りすぎると必ず病気、短命になる
青菜の類はいくら食べてもよい
残すのはもったいないと思ってはいけない。自分の身体をいたわり、食べないことこそが、徳をなすことである。
食の節制はけちではない。人に対してふるまうときは、けちってはいけない
食は天から与えられたものと心得、むやみに食い散らかしてはいけない
こうした食の節制を少なくとも三年間続ける
食の節制は身体を美しく健康にし、それにともない心も磨いてくれる
今物事がうまくいっている人はさらに幸運になり、自分は運が悪いと思っている人はその悪い運を一気に好転させるヒントがここにある
南北は生活全般において節約を心がけないと、徳を損ねると繰り返し説いた
日常使っている道具を粗末にしても、運が衰退する
丁寧に長く使い、ほんとうにダメになった時、道具に感謝して処分する。
声を出すということは、声帯を振動させることであり、それが脳の松果体に刺激を与え、メラトニンやドーパミンなどの脳内ホルモンの分泌を促進することにつながっている
それが老化防止に役立っている
人類の遺伝子のゆりかごと言われている自然性の高い熱帯雨林には、人間の知覚限界である二十キロヘルツをはるかに超える百五十キロヘルツの高周波成分が満ち溢れている相ですが、いわゆる森林浴というのも、新鮮な空気を吸うだけでなく、素晴らしい健康的な音に全身が包まれることを意味します。
そういった身体によい音を全く聞かずに都会で十キロヘルツ以下の騒音ばかり聞いていると、身体に不調をきたす
音には生理機構のすべてのレベルに働きかけ、そのアンバランスを調整する作用があるので、どんな症状や病気にも有効
音は直接身体に作用するだけではなく、感情レベル、思考レベル、霊的レベルに深く触れ、その人を変容させる
「声はこれ即ち念なり、念はこれ即ち声なり」 法然
筋肉や血液も振動の影響を受けるので、心地よく出された声は、脳波を深いリラクゼーション状態であるアルファ波やシータ波に導く
地球上で生活習慣病を患うのは、火を通したものを食べる人間と飼育動物だけ。
食品を加熱すると、貴重な酵素とビタミンが壊れ、タンパク質は変性し、脂肪は酸化する。
変性したり壊れたものを食べると、それらを吸収するために消化酵素を無駄使いすることになるので身体に負担をかける
加熱調理された食品を食べた直後の人の血液を調べてみると、白血球の数が急激に増えている
なまの自然な食品を食べたあとには、このような血液内の変化は起きないわけですから、人間の身体は加熱調理された食品を有害とみなす野生動物的な機能が残っているのかもしれません
いろいろな食材を生食と火食の両方で摂るのが理想
酵素は約48度で破壊されてしまうので、加熱した料理ばかり食べていると、知らない間に酵素不足になってしまう
たとえば肥満の人が必ずしも大食漢とは限らない。酵素が不足しちると、食べたものがきちんと消化吸収できないため、太ってしまう人も少なからずいる
人は無理をせず、適度に運動し美味しいものを少し食べ、ゆっくり温泉にでも浸かって、うまの合う人と楽しく語らい、天寿を全うすべき
その中で万物に感謝し、生きることの喜びをかみしめる
人間は精神論では救われない
肉体が健やかでこころに引っかかることが少しもないときに、「ああ、幸せだ。この世に生まれてきてよかった」と思える
身体がボロボロの状態でいくら高い思想を語ったとしても、それは救いにならない
肉体は自分のものであって、自分のものではない
肉体は神のやしろ。
信者の境内がいつも美しく掃き清められているように、自分の肉体も清潔に保たなくてはならない
肉体を根底から喜ばせることが天からの至上命令
人間として当たり前の生活をしながら、その当たり前の生活に感謝し、感動し、毎日嬉しく、楽しくいきていく、それこそが人生修行の目的であり、その出発点となるのが日々の食生活