備忘録
食
人知れず徳を積み、酒食を慎むことで運を開く
食は命なり
何より大事なのはすべてのものに感謝して食べること
この世界は生きている人のものだけでなく死者の世界からの影響もある
自分が今いるのは両親、祖父母・・・と連なる先祖のおかげ。こうした存在へ感謝することをこころがける。
食の恵みを与えてくれる自然に感謝し、奉仕や調和の心を持って生きる
食を見直せば開運する
体調がよく崩れる人、病気がちな人はまず感謝が足りない
悪い言葉を使っていると病気になる
それは宇宙の原理に沿っていない生き方だから
良い言葉を使い、感謝をし、食べ物にも感謝しながら食べると運命は劇的にひらけていく
食は命を養う根本
生涯の吉凶はことごとく食によっておこる
人は点から与えられる食の量には限りがある
ひとそれぞれに一生に生産される酵素の量も決まっている。
食を慎み天に貯金することが、わたしたちの運命に直結する。
食べるという罪によって下がっている運気は、食べないことで上向く。
いかに食べないか。
それが私達の運命を左右する。
食はすべての根本
食を慎むことにより心と身体が健やかになる
喜びも悲しみもすべて食が根本
食べ物イコール血液。血液は体細胞。
消化された食べ物は腸の粘膜に送られ、腸の壁で赤血球が造られ、それが血管の中を循環し、細胞に接触して細胞に変わっていく。(腸管造血説)
2018年 超移植を受けた患者の腸にドナーの造血幹細胞が存在していることが発見された。
血液生理学者 森下敬一
心を濁すものは食なり
食べ物によって変わった血液は、わたしたちの体細胞を変え、わらにはわたしたちの体質をも変える
そしてその体質はわたしたちのこころに影響を及ぼし、ついには運命をも変える
わたしたちの体は、空腹にはめっぽう強いが、食べすぎにはめっぽう弱い
一日の中で身体が作ることができる酵素の量は決まっている。よって食べすぎは身体の修復を妨げる
水野南北
節食開運説
運命という字は命を運ぶと書く
命を運ぶためには人間は食べなければならない
食は命を養う根源。命は食に隋う。
人間が天から与えられている、障害に食べられる量は決まっているので、たとえ吉相であっても暴飲暴食をすれば命短く、たとえ凶相であっても食を慎めば、天から受ける幸福を食いのばすことができる。
生涯の吉凶はことごとくこの食より起こる。
食が運命を左右しているという考え方。
少食の者には死苦や長病がない
少食の者は病むことも少ないが病んでも食べないということはない
大食の者は天与の食が尽きてもまだ生命があるために食べられない状態で長く苦しんだのち死ぬ。
少食の者は天与の食が尽きていないために、生命が終わっていても食が終わっていない状態にある。
そして食のあるところに必ず生命がある原理によって生命の灯は消えていてもなかなか死に至らない
その食が尽きるころ生命もおのずから滅びる。少食の者には死病の苦痛や長い病がない。
しかし少食の者でも食事が不規則であれば、病気にかかりやすい。
少食の者はいつでも腹がすき加減だから、病んでも食事をしないということがない。よって少食の者は大病にかかりにくい。
3年間食を慎み人徳を積むならば、たとえ無禄の相であっても、俸禄は自然とさずかる。
食は給与の基本。
食を厳重に定めることを食禄を定めるという。
人相・骨相・手相などには本来吉凶はない。
ただ飲食を厳重にさだめることをもって善相とするのである。
飲食をいまだ定まらないことをもって悪相とする。
食の限度は腹八分目をもって限度とする。
神への祈りを叶える方法
神はどこにでも在る。あなたが願を求めるところあまねく神である。その神を感じさせる信仰のまごごろが通じれば、ことごとく願いは成就する。
千日千夜祈ってもあなたに実がなければ神明はどこにもおられない。また実をもって祈ろうと望むなら、自分の命を神に献じ奉ることだ。
食は自分の命を養うもとである。これを献じ奉るということは、すなわち自分の命を献ずるのと同じである。
もっとも、常食が3椀であれば、2椀食べて1椀を神に献じ奉りなさい。別に献じることはない。日々膳に向い、自分が念ずるところの神仏を心中に思いめぐらせて言いなさい。
「只今3椀の食のうち1椀を献じ奉ります」と心中に祈念し、それから自分で2椀食べる。献じた1椀は神がたちまちこれを受けたもう。
自分も十分に食して日々神に美味を献じても神はこれを悦ばれず、自分が食するうちを献じ奉るそのまごころを受け取られる。
3つあるものは二つ食してひとつ食せんと思うものを食べないで神に献じ奉り、なお肉食に限らず食物の類はみなこのようにして献じ奉るときは諸願成就しないことはない。
小さい願は1年、あるいは3年。高名になるには10年このようにして神仏に祈れば願は必ず満足できるものである。
命のある間はどんな人にも運がある
早起きをして毎日の仕事に精を出し、そのうえ飲食を慎んで怠らなければ自然に運は開けてくる
飲食が少ない人は人相が悪くても長生きし晩年幸福になる
飲食が多い人はたとえ人相がよくても手遅ればかりで気苦労がたえず晩年不幸せ
大食で量も時間も決まっていない人は問題外
一生運はよくならない
飲食に定めがあっても量が一定でない人は収入も一定しない
人の運命、不運、寿命はみな食物、飲物を慎むか慎まないかによって決まる
(南北の教えは道元を開祖とする禅に通じるところがあり、後のマクロビオテック理論やファスティングなど現代の食に関する教えにも大きな影響を与えている)
命こそが運なり
食こそが命なり
すなわち食こそが運なり
3つ食べられるところを1つを食べずに心で神にささげれば願がかなう
普通に生きたかったら、食べなさい
飛躍的に生きたかったら断食をしなさい
食はその人の運命を左右する
粗食の者は貧相であっても幸運をつかむ
美食を慎まなければ家を没落させ出世も成功もおぼつかない
食を慎み欠乏に耐える者は、晩年の凶運を免れる
毎日のように美食する者は、老いては消化器系の病気にかかり、食べたくても食べられない業病となる。
人が貴く上品になるのも人品いやしくなるのも、みな飲食の慎みによる
身の程以上の大をなすものは、生涯いい仕事はできない
美味大食を戒め慎食延命法を説く
食を慎む
人は食べ物と言葉によってできている
人の運命はすべて食にある
五観のげ
この食事がどれだけの人の手を経て出来上がったかを思い、それらの苦労や自然の恩恵に感謝します
自分がどれだけひと様の役に立っているか、食事をいただく資格があるのかを反省します
食事をえり好みしておいしいものをむさぼり、そうでないものに腹を立てる愚かさを反省しこころを正しく保ちます
これからいただく食は、肉体がやせ衰えず健康を保つための良薬とします
私がこの食事をいただく目的は、仏道を成し遂げるために他ありません
「食はこれ仏法なり」 道元禅師
他の命をいただくことで、自分が生かされていることに気づく
食欲にまかせて食べるのか、それとも身体に良いものを厳選して少量味わって食べるのか、それは自分の意識の持ち方一つで決まる
食事の折、噛むたびごとに「ありがとうございます」と心の中で念ずる
ほんの少しの努力で少食の習慣をみにつければ、物事への執着が少なくなり、シンプルなことをそのまま楽しめるようになる