4/11備忘録 恐れ2

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備忘録

恐れ2

もしもあなたのまわりの誰かが光以外のものに見えているとしたら、

それはあなたの中に、何らかのかげりがまだ残っている証拠にすぎません

あなたがある人が嫌いだとしたら

その人の欠点を見つけ出している自分に気づいてください

その人の中に見える欠点を

欠点と認識するために使った

あなたのモノサシは何でしょうか

他人を良くないと判定するための尺度に用いた

あなたの価値観を見つけてください

その価値観の対極にある考え方は何ですか

その対極する価値観を使って、あなたの判断の天秤はかりが

バランスするように持ってきてください

あなたの価値観をニュートラルにするということです

あなたの抱いてきた価値観が

「どちらでもよい」というニュートラルになると

そのことに対して比較することができなくなります

比較するための尺度がないからです

比較しなくなったら判断もできません

このとき人ははじめて、判断しない人生を

生きられるようになってきます

比較するな、判断するなと教えられても

モノサシをもっている以上、瞬間的に無意識に条件反射的に

判断が起きてしまうものです。

あなたの抱いているすべての良し悪しの価値観を手放してください

あなたの疑うことのない正しさに対局する価値観を探し

価値をバランスさせ、ニュートラルにしてください

このとき人は、比較判断ができなくなります

判断しなくなったあなたのこころは、揺れようがありません

こうして人は不動心を獲得します

正しさを握っているかぎり、

社会の現実を見て、心を動かさないではいられません

正しさを持っているかぎり、そこに悪を発見するからです

不動心を得た人は、現実を感情を交えずに

見ることができるようになります

すなわち、あるものをあるがままに見るわけです

すべてのものを、すべての人を正観できるようになります

見えてくるものの奥にある「存在」が

感じられるようになってきます。

「ただ在ることの素晴らしさ」がわかるようになってきます

至福に満たされます

存在の美しさ、存在することの素晴らしさを実感します

決して変わることのない、永遠の巨大な存在を

感じられるようになってきます

「わたしはこんなに頭が悪く、力が無く、矛盾だらけのジレンマの社会に生きているのか?わたしは神であるはずがない」

と考える人は、

「だから我々は互いにかける迷惑を、最小限に留められるよう

我慢しあってひっそりと生きていかなければならない」と言う考えが

正論になります

これまでの考え方です

この反対に

自分が神であることを疑わずに、真理の中心に据えたとき

「ではなぜ神であるはずのわたしが、矛盾を解く智慧がなく

問題を解決する力がないのか」とその回答を用意する必要が生じます

神である我々が、ジレンマ社会にいるとしたら

それを体験してみたくて、ちょっと遊びに来ているのだとしか

考えられません

子供が怖いジェットコースターにわざわざお金を払って

遊びに来るように・・・

そして全ての現実を自分が創っている創造者であることを

受け入れたとき、

自分のまわりで起きる全てに責任をとったとき

もはや永久に被害者にはなり得なくなります

被害者にならないとは、もはやあなたは永遠に

傷つくことがないということです

もう自分は傷つくことがない、自分は永遠に安全であると

想像してみてください

どんなに安らかにくつろげることでしょう

自分はそのためにこそ、これまであくせく頑張ってきたのだと

思いませんか

本当はその感覚がほしかったのではありませんか

そうなのです

自分に起こってくる現実のすべてのことに対して

自分が責任をとったとき、

あなたはその瞬間から、永遠にくつろげる

豊かで自由な存在へと変ります

これは難しいことではありません

単に「自分の見るもの聞くものはすべて、自分のハイヤーセルフが

わたしのために創り出してくれているのだ」という

この一点を受け入れてしまえば、それで終わりです

それだけであなたは完全なる安全を手にします

完全なる安らぎに浸れます

どうか恐怖から逃れようと

責任をとることを回避するのではなく、

勇敢にすべての責任を受け入れてください

本当に「すべて」にです

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