3/22備忘録

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備忘録

神様目線で言えば「お金を稼ぐ」ということはどうでもいいこと。

あなたがいくら稼いだかはどうでもいいこと

あの世で神様から問われるのは

「あなたは仕事や事業を通して、どれだけ世のため人のために貢献できましたか」ということ

あなたは仕事を通してどれだけ人助けをしましたかということ

この部分が魂の成長として問われる部分

このことがわかると、たとえあなたがどんな仕事をしていようと、神様に愛されるような正しい仕事の仕方やお金の稼ぎ方が、だんだんと見えてくる

これからの時代で収入を上げるには

何か夢中になれることがある人は、それを寝食を忘れるくらいに夢中になってやり続ける

労働者として生み出す価値のクリエイティブ性が高い人が、どんどんと収入をあげていく、ということ

利己的に生きる

よく言われることとして,人のために何かをして上げるのはいいこと、と言う話がある

徳を積むようなことをしていると、過去に自分が積んだ徳なことが自分に返ってくる

結果的に自分が美味しい思いができるから、最初に人のためになるようなことをしたほうがいい、こんな解釈で動くのも、実は正解

この考えで動くのは第1段階

第2段階は、ただひたすら自分が自分勝手に動いても、それが周りの人を光で照らすようなことにになる

本人は相手に忖度するとかそういうことなく、ただ好きdやっちるのに、それがなぜか結果的には周りの人のためになっている

こんな状態が理想的

これからの時代は、これができる人が増えてくるし、ここを目指すことがこれからの時代をうまくやっていくコツ

これが新しい成功法則

自分が我慢をして人の為に尽くすと、そのぶんあとからいいことがあるよ、と言う考え方

今我慢をすると、死んでから幸せになれるよなれるよというのは、今まではよく言われてきた

この考え方では、「今この瞬間を生きる」ことになっていない

人のためになることをする、困っている人がいたら助けて上げる、ここは素晴らしい考え方

でも、ここに自己犠牲と言う考え方が入っている場合が多々あり、いつのまにか自己犠牲が素晴らしいこと、と言う解釈にすり替わってしまった

自己犠牲というのは本来、美しいことではない

人助けをするのは美しいことであり、いいことですばらしい

今まではそこに自己犠牲が必要なシチュエーションが多かった

だからいつのまにか自己犠牲=素晴らしいことというふうに解釈する人が増えてきてそれが教えとして広まってしまった

たとえば困っ散る人に募金や寄付をしようにも、自分がお財布の中に1万円しかないのに、他人に1万円あげてしまったら自分のかねがなくなってしまう

でも、自分が100万円持っていたら、人に1万円あげても、自分は豊かなまま。これが人生の正解。

まずは、自分が100万円手に入れる。

他人を幸せにしょうと思ったら、まずは自分が幸せになりなさいということ

自分が幸せでないと、他人を幸せにすることなんてできない

自分が豊かでないと、他人を豊かにはできない

愛というのは努力をして無理やり絞り出すものではない

あふれるように勝手に湧き出るもの

だから、自分が愛の電池が枯渇しているのに、どこかの遠くの国の子供たちを助けてあげるなんていうことは、それはムリ

なぜそういった大きなことを考えてしまうひとがいるのかというと、そのひと本人が、人一倍「劣等感」を持っているから

劣等感が強いひとは、何かひとの役にたつこととか社会の役にたちたいと思ってしまう

ひと出すけをすることによって、自分は価値がある人間なんだということを見出そうとする

本人は気づいていないが、そう思っている根源的な理由が、自分の劣等感からきている

本人は劣等感が強くて欠乏感がある状態だから、心では人助けをしたいとかひとを幸せにしたいと思っていても、行動に移せない

でも自分では人助けをしたいと思っているので、どうしたらいいですか、という質問をしてくる

そういうひとは遠くの国の子供たちを助けたいと思う前に、まずは自分が好きな事をして、自分を満たしてあげることが最優先

自分をもっと好きになって自己肯定感を高めること

そうすればだんだんと自分の中に愛が溢れてくるから、そんな状態になると、自然に人助けができるようになってくる

まず最初に自分が喜ぶことをする

自分が喜ぶこと、他人が喜ぶことをマッチングしてみる

自分が喜ぶことをして、自動的に他人が喜ぶ状態を作る

トイレ掃除をしましょうとか、ありがとうと言いましょうというのも、自分がそれをやってみて、ぜんぜん楽しくないと思うなら、本当はそんな事やらないほうがいい

でもそれだといつまでたっても前に進めないから、こころで思ってなくてもいいから、とりあえずありがとうと言ってみましょうとか、砕砂はいやいやでもいいからトイレ掃除しましょう、と言う段階がある

最初はここからスタートするしかなかった

でも本当は自分が楽しいと思わなかったら、やらないほうがいい

みんななにものかになろうとする。でも本当はそんな大それたことを思う必要はない

あなたがいつも幸せで楽しく生きていると、いつも笑顔になる

あなたのその嬉しそうにニコニコ笑っている笑顔を見て、勝手に幸せになっているひとがたくさんいる

笑顔というのは、それだけで自分が思っているよりも、他人を幸せにする

あなたが普段から明るいトーンで声を出したり、話をしたり元気に挨拶していると、それだけで周りのひとが勝手に元気になっていく

明るいトーンで話をしたり元気な声で挨拶したりするのは、本当は誰が一番気持ちがいいかというと、自分が気持ちがいい。

こうやって自分が気持がいいと思うことをして、周りのひとが勝手に気持ちが良くなってもらうというのが理想

まずは自分が好きなことをして、自分が楽しい状態を作ればいい

そんな自分を見て、周りの人が勝手にうれしくなるというのが理想の社会

だからひとを幸せにするためには、自分が我慢をしなければいけないというのは、本当はまちがい

わたしもあなたもみんなで幸せになりましょうというのが正解

これは波動の観点からみても同じ

波動というのは、同じ波動が共鳴しあう

自分が苦しんでいやいややっているのに、隣に座っているひとは幸せというのは、おかしな状態になっている

自分も幸せで周りにいるひとも幸せ、というのが自然な状態

そのときにまず最初に、幸せになる自分は自分のことだけを考えていればいい

つまり、利己的でいい

相手のことを考えなくても、結果的に相手を幸せにすることができるようになるというのが、これからの時代の考え方

だから利己的なのと利他的なのは結局は同じ、と言う話

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