2/21備忘録 五観の偈

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備忘録

五観の偈

これからいただく食事がこのお膳に供されるまでに、どれだけ大勢の人たちの手を経てきたかを考え、その人たちの苦労に対し、心から感謝する。さらにこれらの食物を育んでくれた日光、空気、水、土などの自然の恩恵にも感謝する。

この食物をいただく自分はどれだけ人のお役に立つようなことをしてきたか、果たして本当にこの食物を受けるに値する資格があるだろうかとよく反省してみる。

わたしたちは食事に際し、ついより好みし、おいしいものはもっとほしいと貪りのこころを起こし、味ないものには愚痴をこぼし、腹を立てたりする。この貪、瞋、痴の三毒でついに地獄、餓鬼、畜生の三悪道に陥ってしまうものであることをよく反省する。

これからいただく食事は、飢えや渇きを癒やし肉体が枯死しないための良薬として考えれば良い。そうすれば貪りのこころや愚痴や瞋りのこころも起こるはずがなかろう。

わたしたちが食事をいただく最終の目的は成道せんがためである。すなわちまことの道を成し遂げるために食事をいただくのであって、決して食わんがためではない。

このように仏教の食事観は、徹頭徹尾もののいのちを尊重するところから出発する。

そしてこのような生活こそ実は、真の健康と智慧を生む道であると説く。

すなわち他のいのちを大切にするということが、そのまま己の生命を最もよく活かす健康法でもある。

ここに宗教ー医学一体の考えが説かれている。

すなわち、食事即仏道ということができる。

したがって仏道で説かれている慈悲の教えの実践者たらんとするものは、まず少食を実行することによって真にその資格が与えられる。

少食によって毎日繰り返す殺生をできるだけ慎み控えること。これが生き物に対する慈悲のこころ。

少食によって完全に消化吸収された栄養できれいな血液をつくり、これを全身の四百兆にも及ぶ各細胞に供給することにより、組織は生命力に満ちた活動を続行することができる。これすなわち四百兆の細胞に対する愛の行為である。

少食によって腸内の腐敗発酵がとまり、腸内細菌叢に住みよい環境を与える。これも腸内細菌叢への愛の行為となる。

二杯食べる飯を一杯に減らし、これをカンボジアやインドの飢餓に苦しむ人々に供養として与えるなら、これも慈悲の行為となる。

異常のことから「少食即仏道」となる。

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